若いときは嫌いだったのに、齢を重ねて好きになった俳優って
いますヨネ。私にとって、その代表が(リチャード・ギア)さん。
「アメリカン・ジゴロ」'80から「プリティー・ウーマン」'90までは
只のキレイな男、好きになれない代表選手だったのです。
はじめて「おや!」と思ったのは、八月の狂詩曲(ラプソディー)'91
に出た時、何ゆえ黒澤明監督に見込まれたのか?と思った時でした。
評価が替わったのは「シカゴ」'02
二人のヒロインに花を持たせる、余裕振に感服したのです。
極めつけは「運命の女」'02
あのあのジゴロ役者だったR・ギアさまが女房を寝取られる
哀れな夫を見事に演じた時、なにかしら愛着を感じた。
そして今回の「シャルゥィー・ダンス」では
家庭と妻を「愛」しながらも、ちょっと「恋」も感じたいという
少々小心な愛すべき夫を演じてくれました。旨い!もう尊敬の域。
判るな~彼の気持ち!
先日あった我が中年男(団塊世代)の同期会酒席で、皆が一致した
意見は、・・もう一度恋を「感じて」みたいということでした。
これは家庭を棄てるとか、不倫に走るという大それたことではなく
お互い好ましいと思っている人がいて、トキメキを感じたいという
ことでしょう。
瓦版の女性諸氏には、それこそ不実だ!と怒られるかもしれませんが。
ハリウッド版では、リチャード・ギアさんは日常からの脱却のため、
or 本当の幸せを求めてダンスに行ったというのが多数説ですが、
違うと思うな!僕らと同じです、ダンス教室の窓に見える女性
(ジェニファー・ロペス)と恋を感じて見たいと思ったからですヨ
ハリウッドはやはり、魅せ場を作るのが旨いと思いました。
あの深夜の教室でタンゴを踊るシーンは一見の価値あり、凄い!
暗闇の中、灯りは窓外のネオンのみ、寄り添い情熱的に踊る二人、
吹き出る汗、もはやダンスというより性行為の一つに思えた。
私が思うに、夫(R・ギア)にとり、これで相思相愛の「恋」を
十分堪能し完結したのです。よって又再び「愛」する女房の元へ
帰ったと解釈しました。
そうでなければあのタキシードと赤い薔薇とデパートでダンスの
意味が解明できませんヨ。
え!解釈が甘すぎるッテ!団塊の世代は「恋」に恋するタイプが
多いものですから、スミマセン
この映画を見た後の対談
マキノさんの「Shall we Dance?」
両方どっち付かずだけど、どっちかっていうと奥さんがメインな話と思います
⇔ 私は男の恋と愛の話と思います。
ishiharaさんの「シャルウイ・ダンス」
「日常の外にあるものへの憧れ」
⇔男はそんなに抽象的なものへは憧れないと思いますヨ
やはり女性に憧れたと思います。
kinoさんの「SHALL WE DANCE ?」に
夫婦愛の物語に、自らを省みてなぜか猛烈に反省しながら帰った。
⇔この映画はたまたま結果が丸く収まっただけで、一歩間違えると
危ないものです。貴女様が反省するなど全く不要と思います。
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