投稿情報: 05:10 カテゴリー: 2011観た映画, せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本の歴史を変えた天下分け目の戦いは「関ケ原の戦い」です。
それを題材に書にしたのが、歴史小説の大家(司馬遼太郎)で
ある。読まれた本累計620万部という大ベストセラーになった。
今般この原作を堂々たる映画にしたのが(原田眞人)監督。
1600年9月15日石田三成を大将した西軍8万と徳川
家康を大将にした東軍7万が関ケ原で対峙した。後この布陣図を
みたドイツ帝国の陸軍参謀メッケルは、これなら「西軍の勝」といった
という。しかしご存知のとおり東軍の勝利に終わった。
それもたった一日、しかも僅か6時間で大戦は集結したのだ。
いったい何が起こったのか?何が勝敗を決したのか?その経緯は
まことに興味深い、それはやはり人間力の差であったといえる。
(岡田准一)がNHKの大河ドラマ「軍師 官兵衛」(2014)で見せ
た侍振りに、私は魅了され、彼がこの映画で主役(石田三成)を
演じるというので劇場に直行した次第である。
正に期待どうり、正に正義、理念を貫き通した悲劇の侍を演じた。
一方徳川家康は日本映画を代表する主役俳優(役所広司)
が、これまた老獪、したたかなタヌキ親父を見事に演じたのである。
徳川の勝利はしたたかな人たらしで本来西軍=豊臣側に付か
ねばならない重臣達を全て徳川方にたらし込んでしまったのだ。
特に戦国時代のサムライ達は命を掛ける存在ゆえ、損得勘定と
プライドに左右される。三成の理念と規律原理主義では純粋過
ぎて嫌われる、やはり甘言とぶら下がったニンジンの方にいくものだ。
正に泥臭い人間社会の縮図である。
最後まで三成を補佐する島左近(平岳大)の鬼気迫る演技は
正に亡父(平幹二郎)の遺伝子そのものである。
それから豊臣秀吉を演じた(滝藤賢二)さん!認知掛かった
秀吉、死に際の秀吉を見事に演じた。この人に異常者をやら
せたら右にでる人いませんワ
いずれにせよ、昨今の学園ラブコメもの、オカルトやアニメだらけの
日本映画の中で久々の大スケール、本格骨太映画が制作され
たのだ、場内は我々オジサンばかりだったが、若者にも見てほしい
ものだ。
もっともプライベートで、且つシークレットなことは何か?
それは自分の性癖でしよう。どんな人でも(大人に限るが)、
たとえ聖人でも淑女でも、それ(性癖)を持っているハズ。
それをテーマにしたのが「秘書、セクレタリー」でした。
性癖というものは、その人が性的満足を得るため、どうしても
しなければ済まない行為であり、その人固有のもので、他人が見ると、
異常であり滑稽で、とても理性ある人間がする事とは思えぬものだ。
性のお相手が同類か、それを理解してくれる人ならHappyであるが、
違うなら、もんもんと欲求不満を我慢するか、別のことで気晴らし
するか、はたまた別の相手に走ってしまって、やっかいな事になる。
この映画は、自傷性向(自分を刃物で傷つけ、肉体痛によって、心の
傷を和らげる)を持っている女性が、自分を変えようと外勤めを決意し、
弁護士事務所の秘書に採用された。
雇い主の弁護士(ジェームス・スペイダー)もどこか屈折した男、
ある日衝動に駆られ、彼女の尻を激しく叩いた。彼女はそれに異常に
反応し性的興奮に至る。それ以来、彼にいたぶりと尻叩きを求める。
それが、されない時は彼を思い出し出し、@慰までする始末。
映画とはいえ、ここまでやるか?
これでも!ポルノ映画でありません、猟奇的映画でもありません。
ほのぼのラブコメなのです。彼女(マギー・ギレンホール)は
どっか愛嬌ある顔、それがかえって、いやらし~。
湧き出る本能を旨く表現した。いやぁ~面白かった。
我々は皆、自分の変な癖を隠し、且つ棚に上げて、他人を笑って
生きている。その事実を自覚できる映画。淑女必見の一本でした。
投稿情報: 05:24 カテゴリー: 2003 見た映画, せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
藤沢周平の小説くらい、読む人によって好きな作品が異なる
ものは無い、それは男の立場、女の立場、父、母、子の立場で
それぞれがシンクロする所があり、それぞれ異なるからだ。
それでも最も多くの人に読まれた代表作というと「蝉しぐれ」
だと思う。今まで藤沢周平小説映画の感想を書いてきたが、
やはり、最後は「蝉しぐれ」を書かねばと、変な義務感を持った
次第。
舞台はやはり東北の小藩「海坂藩」(藤沢周平造形の場所である)
下級武士でありながら、藩の土木に責任を持つ父・助左衛門
(緒形拳)を息子・文四郎(石田卓也)は心から尊敬していた。
しかし父は藩の内紛に巻き込まれ切腹を申し渡されたのだ。
父との最後の面会の場面は、涙なくしては見られなかった。
父は「文四郎はわしを恥じてはならん」との言葉をのこした。
父の遺体を引き取り、ひとり大八車に乗せて運ぶシーンが
この映画の主題であろう。すべる坂道で後ろから一心に押す
(ふく)がいたのだ。
人間は幼い時に好きになった異性を忘れず、どこか引きずって
いることがあるが、幼なじみであった文四郎とふくは、遠く離れ
ばなれになっても心に想いつづけていた。
この映画コピー「20年、人を想いつづけたことありますか」が
この映画のテーマ
しかし運命のいたずらか文四郎(市川染五郎)藩士と
ふく(木村佳乃)は殿の側室という立場になっていたのだ。
そしてラストシーン、おふく様が殿の菩提を弔うために髪をおろす
前の日、二人はひっそりと湯宿で会った。
「文四郎さんの御子が私の子で、私の子が文四郎さんの御子である
ような道はなかったのでしょうか」・・・・
そして二人は思い残すことのない行為を遂げた。
いやぁ~藤沢小説は文脈の中に究極のエロスがあるのです。
映画の方は、ここをなんだかはっきりせずに終わりましたのが
誠に残念。
投稿情報: 06:23 カテゴリー: 2005 見た映画, せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
皆様明けましておめでとうございます。今年も熟年の立場から
気ままな映画の感想を述べさせてくださいませ。
さて本年初見は日本推理小説の最高峰 故(松本清張)生誕100年
を記念して製作された清張不朽の名作「ゼロの焦点」でした。
小説は昭和33年(1958)から2年間雑誌で連載され、
当時大きな反響を呼び、超ベストセラーとなったのです。
今作は1961年の作品に続き2度目の映画化の由。
この映画の見所は、日本の戦後昭和21年から昭和35年の
時代を見事に再現したことと、今最も油が乗っている3女優の演技
比べというところでしょうか。
第一作1961年は正にライブでありロケもそのまま使えたで
しょうに、今作2009年は50年経ってしまい、全てSFXや
CGによって当時を復元せねばならなかった。
私にとってまるで「ALWAYS三丁目の夕日」’06を見た時と
同じ感動を覚えました。
失踪した夫を探すべく冬の北陸に向かう、けな気な新妻役に
(末広涼子)。アイドル時代の作品「WASABI」‘02で、
この子どうなるのかと心配だったが、実生活でも離婚や人生経験
を積み、「おくりびと」’08や今作で連続好演し、今や女優の筆頭格
になったと思う。
この映画の核となる、北陸の名士夫人役に(中谷美紀)、
彼女はたぶん30代の女優の中で一番の演技派であると思う、
彼女の場合どの作品も光っているが、私は「ホテル ビーナス」’04 の
朝鮮人妻役の旨さに度肝を抜かれました。
そして素朴な漁師の女に(木村多恵)、TVの救命病棟24時で
看護士を演じている。この映画では田舎くさい女だが、3女優の中で
一番の美人と思います。なにしろ私の場合、日本顔(いわゆる醤油顔)
が好きなものでスミマセン。
さて映画は昭和30年代を再現し、荒涼たる北陸日本海を見事に
表現した。しかし、いかに優れた原作も時が経つと、その主題が
風化することを感じた。つまり、戦後、米国進駐軍相手の娼婦
(いわゆるパンパン)が多数いました、女が生きていくために止む得
なく選んだ道とはいえ、世間は許せざる行為と思っていた。
貞操を売ることは日本女性の恥、
しかも米兵は戦争犠牲者にとって憎い敵であったのだ。
戦後の混乱が終わり、娼婦たちも塵散りになったが、絶対に知られ
たくない過去であり、過去を隠し生活していた女性が多々いたはずで
ある。
今の若い人たちにとって、また年配者も時が経った今では、
この犯罪の動機に説得力が無いと思われる。世間は決して許さないと
いう背景が理解できぬし、また現在は風俗商売に対しても、性に
対しても比較的寛容でもある。
さらに結婚相手の過去や正体を全く知らずに結婚することなど、
今では考えられぬことであり、しだいに解明される夫のミステリー
などは、今の若者にとってはトンチンカンな話となっている。
松本清張生誕100年記念作品ゆえ、原作を大きく変えることが
出来ない脚本であった事は理解しましょう。
「昭和は遠くなりにけりですナ」
投稿情報: 17:29 カテゴリー: 2010 見た映画, せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
原作では、はっきりと「北朝鮮」と言ってますもの。
ノンフィクション作家(麻生幾)さんの同名小説の映画化でした。
題名が「宣戦布告」と強烈で 宣伝が「日本崩壊の危機」!!と
やたら煽っているので、時事ドキュメントもの好きの私は劇場へ直行。
ある日、平和な国ニッポンの福井県敦賀半島に不明の潜水艦が座礁した。
目的は判らぬが、武装した「北東人民共和国」の特殊工作部隊が上陸
潜入したことが判明した。日本にとって緊急事態である。
「北東人民共和国」と一応仮名の配慮はしたが、なんの事は無い!
この国は、今話題の悪名高き「北朝鮮」のことだ。
だって原作では、はっきりと「北朝鮮」と言ってますもの。
さて日本崩壊の危機と大袈裟宣伝であったが、何と!たかが11名の
敵兵進入に過ぎなかった。しかし、日本の現行法では、
こんな少人数でも退治するのが大変なことらしいのだ。
先般見た映画「突撃 浅間山荘事件」‘02でも武器使用が許可されず、
警官が殺された事を嘆いていたが、あの事件が起こったときから
30年経った今でも、未だこの銃器問題は解決されず、何ら変って
いない事に驚いた。
今回も警官がバタバタ殺され、手に負えないので遂に自衛隊が出動
しかし、拳銃の使用許可されない、十数人殺されて、やっと許可
さらに数十人殺されて手榴弾使用が許可、さらに数十人殺されて、
やっと新鋭機関砲付ヘリコプターが許可され、現場に飛んできて、
あっという間に敵を殲滅した。
はじめからこれを使えば何の事無いのに、後手後手に廻ってしまう。
それにしても北朝鮮兵の強いこと強いこと、自衛隊の弱いこと弱いこと、
私が防衛大臣なら、このシーンに対し断固抗議しますヨ
(古谷一行)が時の首相だが、一見「小泉首相」の風貌である、
しかし何となく優柔不断な性格の持ち主で、女房や情報室長から、
決断するのは貴方だ!と尻を叩かれる始末。
それから、時事ものをリアルに見せる欠かせない常連役者として
(佐藤慶)が官房長官、(夏八木勲)が内閣情報室長を演じていた。
緊急時でもスケベをする官僚(河原崎健三)首相秘書官もリアルだ。
日本映画では、時事ものの舞台は内閣の閣議と決まっている。
私は昔からこの閣議のシーン(東宝の8・16終戦もの、御前会議もの、
日本沈没もの、そしてゴジラものetc )が妙に好きなのです。
この映画も首相と各大臣や各省庁の利害が対立する場面があったが、
なぜ意思統一が出来ないか?もう少し各省庁の縄張り争いや、立場が
異なる理由を見せてくれれば、もっとリアルな映画となったろう。
防衛事務次官が六法全書片手に「出来ない 出来ない」主張していた。
まぁ法治国家と言いながらも 国家の第一義は1億3000万の国民を
守る事であって、六法全書を守る事では無いと思うのですが・・・
時代は第二次世界大戦下、一昔前の戦争である。
2003年3月19日 IRAQ-米英戦争、やはり始まってしまいました。
朝からCNNやABC画面に張付状態。しかし驚くほど戦争を感じない。
前の湾岸戦争の時も、アフガンの時も、戦争を感じなかったが・・
それはそうだ、断片的な侵攻映像とミサイル映像、地図画像と、
TVコメンテーターの戦略・戦術論、まるでTVーGameの世界なのだ。
ランチがてら、出掛ついでに観たのが「戦場のピアニスト」だった。
時代は第二次世界大戦下、一昔前の戦争である。
1939年ナチスドイツはポーランドに侵攻した。
ユダヤ人のピアニスト、シュピルマン家の平穏な生活は激変する。
ワルシャワの一画をレンガ壁で封鎖し、ゲットー(隔離地区)が造られた。
ユダヤ人が押込められた、そこでナチスの迫害が始まった。
財産や食料が奪われ、日々 気まぐれな殺戮が実行されたのだ。
たいした理由もなく次々とユダヤ人を平然と殺戮する
ただただ事実の重みに圧倒されるばかりであった。
戦争の悲劇は、家族の離散、弱い者の死である、
それが淡々と日常的に繰り返されるのだ。これは本当に怖いのです。
この前半こそ、戦争の本質、人間のおろかさを見事に表現している。
そして、次の段階、組織的人種根絶政策(絶滅収容所送)が始る。
W・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)はポ-ランドの一流人気
ピアニストであった。
多分、ユダヤ人社会では、民族の誇りでもあったのだろう。
それ故、仲間の機転により、寸でのところで移送貨車から逃れられた。
しかし、これは収容所に送られる家族全員との最期の別れを意味した。
ドラマの後半はシュピルマンの一人逃避生活である
芸術家というものは生活力の無い存在だ。ピアノ以外は不器用の極み、
体も軟弱だ。ある意味で真先に死んでしまう人種である。
しかるに彼は生き残った。彼の才能を惜しんで、ユダヤ同胞達、
ポーランド人の手助けがあったのだ。そしてドイツ将校までが
見逃してくれたのだ。やはり「芸は身を助ける」ですネ。
瓦礫の廃墟に無傷のグランドピアノ、音楽を愛するナチス将校、
天才ピアニスト、そして満月の光、正に奇跡的な符合でありますが、
ショパンの調が流れ、忘れられない名シーンとなりました。
監督はロマン・ポランスキー(70才)である、1933生まれで、
ポーランド人、強制収容所を実体験し、母はそこで殺された。
訪米後、彼は「ローズマリーの赤ちゃん」'68をヒットさせた。
そのハリウッドで、1969年8月、妻であり女優のシャロン・テートが
妊娠8ヶ月の身重で、カルト集団マンソン・ファミリーに惨殺された。
当事、R・ポランスキーの奇異な作風からか、事件直後しばらく、
(当時私も思ったが)彼自身が犯人と疑われていたと記憶する。
人類史上最も残酷なホロコーストの経験と家族の惨死という自身の
悲しみを背負った、ポランスキー故、逆に、クールに創り得た作品。
ポーランド街並みとゲットーを再建し、戦争当時を見事に再現した
スタッフに敬意を表します。
今現在、実行され進行中の戦争は、そのTV報道から、死んで行く人々の
悲しみはさっぱり伝えられない、しかし60数年前の古い戦争の悲しみは
この映画で十分感じる事が出来た。改めて映画の凄さを感じました。
エンディング・クレジットはオーケストラ音楽会そのものだった。
誰一人立ち去らない、音楽終了と共に画面が消えた。
観客は拍手をしながら退場して行ったのです。
こんな体験は始めてです。
投稿情報: 07:24 カテゴリー: せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
日本の神さまたちは、休みをとって温泉旅行をするのです。
アニメは「白蛇伝」’58以来ご無沙汰、さすがに古すぎると反省、
今回縁あって(実は中3の娘に誘われて)、スタジオジブリ製作の
( 宮崎 駿 )監督作品 [千と千尋の神隠し」を鑑賞しました。
世界アニメ映画界では日本はトップクラス、誠に誇らしいことだ。
劇場に入ると中は超満員、こんなこと数十年ぶりの経験ですワ
私、女房、娘とも座るのがやっと、丁度この映画の内容と同じで、
家族はバラバラにされてしまった。
あらすじは
10才の少女(千尋)が家族ドライブの途中、「雪国」ではないが
「トンネルを抜けると、そこは、不思議なもののけの温泉峡だった」
なんと、そこで両親は哀れ豚に変身させられた。
千尋は生きていくために、この温泉の下働きをせねばならなかった。
この温泉峡の市街が、何とも言えず、ノスタルジック、どこか見覚え
のあるなつかしい風情だ。私の幼少のころ行った温泉だろうか?
風呂屋も松山の道後温泉「ぼっちゃんの湯」に少々似ているかナ、
湯屋の内部造作も丹念に画いており、背景デザインはすばらしい。
温泉の客達は八百万(ヤオヨロズ)の神々である。
元々日本には自然崇拝がある、太陽や海、川、森,巨木、巨石、米に
野菜に畏敬を感じ祭る習慣がある。日本人は何にでも手を合わせます
よね、キリスト教やイスラム教の如く強力な一神教では、この作品は
全く成り立ちませんものネ。
この映画のすばらしさは、神々の形相(キャラクター)である、
それぞれ個性的で誠に面白い、作者の創造力の豊かさに感心した次第。
宮崎監督は「10才くらいの女の子のために作った映画」との由、
我が娘はすっかり感情移入しておりました。目的は十分果たしましたゾ。
それから皆さんご指摘の如く、私には珍しいことなのですが
エンドローリングも幕が閉じるまで、ゆっくり主題歌を楽しみました。
http://oak75.typepad.jp/dicky/
投稿情報: 18:55 カテゴリー: 2001 見た映画, せ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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