いやぁ~「SF」作家といえばG・Hウェルズ(1866~1946)
G・Hウェルズといえば①に「タイムマシン」②に「空飛ぶ円盤(UFO)」
③④がなくて⑤に「宇宙戦争」とくる。
①のタイムマシンといえば「バック・トゥザ・フユーチャー」
バックto the Future といえばスティーヴン・スピルバーグ製作
②のUFOといえば、ピンクレディー!・・でなくて「未知との遭遇」
未知との遭遇 といえば S・スピルバーグ
③の宇宙人といえば「E・T 」、ETといえばスピルバーグという
具合にスピルバーグさんは、ことごとくGHウェルズ作品を原案に
多くのSF映画を作って来ました。
となるとGHウェルズの代表的作品「宇宙戦争」の映画は誰がつくるのか?
これをつくる人こそウェルズの後継者であり、SF勲章をもらった様なもの、
当然映画作家の第一人者を自負するスピルバーグなのです。
そして当代一のスターにして製作意欲旺盛な(トム・クル~ズ)さんと
意気投合し、満を期して創った大作こそ「宇宙戦争」なのです。
時を同じく宿命のライバル、(ジョージ・ルーカス)監督がスターウォーズ
の最終回「エピソード3」を引っ提げて堂々の上映、スターウォーズを
直訳すると「宇宙戦争」ゆえ、正に真正面からの最終勝負を掛けたのです。
と・・・大業な前口上で製作の意義を述べましたが、・・・・・
映画雑誌や世間の評論家の評価はなかなかきびしいです。
いったいスピルバーグさんの今回の狙いは何だったのか?
いつもどこかで我々を驚かせ唸らせてくれたが、今回はどうなのか??
私が思うに・・多分今回は、スピルバーグさんは我々観客の受けを
狙わず、奇をてらわず「SF始祖GHウェルズ」に敬意を表して
原作に忠実に行くこととしたのだろう・・
そして観客に恐怖を体験させるべく、観客の目=主役レイ・フェリアー
(T・クルーズ)の目を通してのみの一人称的映画にしようと考えたと
思われます。
よく考えてみれば、もし本当に我々より数段文明の進んだ、しかも
邪悪で残酷な宇宙人が戦争を仕掛けて来たらどうなるか?
多分テレビ、ラジオ、インターネットも破壊または封鎖され、
全く情報の無い、誠に恐怖の状態に置かれるはず。
どんな戦況か、どこが安全か、判らぬまま、目の前で人類が
どんどん抹殺されれば絶望的なパニックとなり、危機を避けるのが
目一杯、とにかく生き延びるため何でもするだろう、(たとえ他人
を犠牲にしても)生き抜くだろう。
さらに人類滅亡の一歩手前になれば、生物学的にはヒトの最小単位
である「親と子」は(自分の遺伝子温存のため)、自分の子供を守るべく、
万難を廃し逃げまくるはずだ。愛というより本能の世界である。
牙もなければ爪ない人間、毛皮もなければ羽もない人間は、
ある意味地球上で最も弱い動物である。「只々逃げ隠れするのみ」
の映画となった。
地球軍と宇宙人との壮絶なスターウォーズを期待して劇場に
行くと肩透かしを食ってしまいます。
最も弱くしかも、最も愚かな生物であり、自分の住む地球をゴミ箱に
した人間。その結果、人間は汚染物資や細菌、雑菌に強い生物に
変異していたのだ。
よくよく考えると、リアルであり皮肉でもあり警鐘でもある。
スピルバーグさんの狙いはこの辺かもしれない。
何かあるとすぐ逃げる小心者の私はこの映画に同調できましたヨ。
1953年版
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