話題性からいくと、本年度(2001)年の最高レベルでしょう。 ドラキュラやフランケンの如く普通名詞のレベルまで昇華した。
もはや、「ハンニバル・レクター博士」の名は固有名詞では無く
隣のブログに敬意を表して「ハンニバル」に一言
劇場の中は若いカップルや女性で満席状態、恐怖の画面を
指の間から恐る恐る覗き見しながらも、口元には薄っすらと
笑みが浮かんでいるのが不思議だ。
何ゆえ、こんなグロな映画に人は惹きつけられるのでしょうか?
まるで、人間本来が持っている獣の本能「共食い」の満足感を
思い出させてくれるからの如くだ。
これは丁度、こっそりとポルノビデオを楽しむが如く、
抑える事の出来ない性本能と同じレベルなのか?
女性FBIは(ジョディー・フォスター)から(ジュリアン・ムーア)に
替わった。「ブギーナイツ」や「事の終わり」の如く、成熟した「クラリス」
には、むしろ打って付である。何故ならハンニバルが彼女に抱く感情はエロス
その感情にふさわしい相手役と思われる。
さて監督はアカデミー監督の(リドリー・スコット)正に画像の名人である
原作では、かなりの量を古都フィレンツェの宗教的説明に費やしているが
映画の時間的制約のため、それは画像の雰囲気のみで表現している。
特に、劇場オペラ、野外オペラの画面は重厚ですばらしいものだった。
見せ場であるが、富豪ヴァージャーの顔剥ぎや、刑事パッツィの切腹シーンは
驚くほど簡潔に済ませてしまった。これには少々欲求不満である、B級批判を
おそれずもっとグロくしてほしかった。
多分、監督として「あの最後の晩餐」に見せ場を集中したかったのだろう
しかしこれで(レイ・リオッタ)は今後恋愛ものには出演できない俳優に
なってしまった。
これあくまで私見であるが、リドリー・スコット監督は名監督というよりも
名職人と思う。
あまりにも映画の筋運びや画面がわかり易く、旨いテンポにしすぎるのだ。
この手の異常な猟奇的映画は筋を明解にせず、難解にして辻褄合わない方が
よいのだ。
「羊たちの沈黙」は題名からして意味不明だったし、あの時の(レクター博士)
や(バッファロー・ビル)の精神構造や行動は正直、良く解らなかった。
よって名作となり得たのだと思う。
されから最後の原作と異なる結末・・・・あの最終の博士の選択は・・・
私としては、冷酷かつ貴族趣味,ダンディズムのレクター博士の主義に
反するのでないかと疑問を呈する次第です。
さて映画が終わり、若いカップルが出口で相談していた。晩飯、何食べる?
そうネ 生ホルモンとレバ刺がいいワ 食事の後はH@T@Lネ・・
ムムム・・・やはり人間は獣だ・・・・
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