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私にとって生まれてこの方、最も衝撃的な「映像」とは 2001年
9・11 ニューヨークのあの世界貿易センターに旅客機が突っ込んだ
TV映像と、そのビルが垂直に崩壊したシーンです。
映画技術が進化し、どんなシーンも作れる時代になったといえ、
想像を絶する、これほど凄い映像は見たことがなかった。
映画SFXでなく事写といえ、我々が見たものはTV映像に過ぎない、
しかし、心底震え、衝撃を受けた。
そして、その時私はその高層ビルの中にいる自分を想像した。
どうしたら助かるのだろうか、パラシュートがあれば飛び降りたろう、
非常用電動縄ハシゴなどなかったのか?あんな高層なら役立たずか?
実際は他人を押しのけて階段を駆け降りるぐらいしかなかったろう。
しかしビル自体が粉々に崩壊した惨状を見るに、どんなことをしても
中にいた人は助かるすべはなかったろう。そんな中で生き残った人が
いた。正に奇跡!という訳で「ワールド・トレード・センター」へ
大惨事から5年経っての映画化、日本人と異なり、欧米人は人間の死に
対してドライである、しかし2,749名という大変な死者を出し、遺族が
まだ苦しんでいる時に映画化できるとは、さすが映画大国ハリウッド、
そしてさすが社会派監督(オリバー・ストーン)と思いながら鑑賞した。
主役は港湾警察官マクローリン(ニコラス・ケイジ)とヒメノ(マイケル
・ベーニャ)である、市民救出に駆け上がるところで、倒壊した瓦礫の
下敷きになってしまった。なるほど地下階での遭遇か、やはり高層階で
助かった人はいなかったのだろうナ。
この映画は瓦礫の下で、瀕死の状態ながら生き抜いた二人と彼らの安否
に心苦しむ家族にだけ焦点を当てた、極めて限定的な映画であったのだ。
いくらハリウッドといえ、あの「タワーリング・インフェルノ」('74)の
如く逃げ惑う人々、ビルから落下する人、瓦礫に潰される人々を一切
映像化出来なかったのだ。ビルに2機目が突入する凄い映像も無かった。
正直私は あのビルにいた多くの人々の様々な群像を見たかったし、
この事件にある、ある種の背景などをO・ストーンは表現するものと
期待していた、しかし「人の悲しみで金を儲けるナ」との批判もあり、
ある意味、テレビドラマ的・家族愛のドラマに納めてしまったのだ。
やはりこれが限界なのだろう。
それから、最近スピルバーグやイーストウッドのショート・カット映画
を見慣れたせいか、O・ストーンのカットが長すぎて厭きが来ました。
(あのアレキサンダーも長かった)彼は年をとったのかナ~
これは全く私見ですが、(ニコラス・ケイジ)はシリアスな映画には不適
だと思う。だって顔と目がバンビみたいで楽観顔過ぎる、「コレリ大尉」も
「フィエス・オフ」も弾に当たっても死なない人だ、今回はミスキャスト
だと思いますヨ
9・11は昨年の出来事の様に感じるが、この5年の間にアルカイダへの
報復のためアフガニスタンを侵攻しタリバン政権を崩壊させたが、またまた
復活している。
2003年イラク戦争が勃発しフセイン政権は滅びたが、今や内乱泥沼状態である。
平和な世紀と期待された「21世紀」は全く幻想でありました。
投稿情報: 06:25 カテゴリー: き | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: 06:04 カテゴリー: 2003 見た映画, て | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
映画雑誌で(末広涼子)ちゃんが、こっぴどく批評されてたと記憶
チェックすべく映画館へ「WASABI」を観ました。
まず驚いたことに、大半はフランス語なのだ、末広フランス語旨いじゃ
ないか!そういえば彼女は早稲田の学生、やはり頭良いぃんだ。
リュック・ベッソン製作映画で 主役がジャン・レノゆえあの「レオン」
風味かと期待したが、全く異なり喜劇アクションであった。
まぁ末広の演技はやや支離滅裂なおちつかない感じもするが
我が娘を見る限り、現代の若い女性に共通な行動様式であり
演技というよりヒロインの「キャラ」であろう
リュック・ベンソンは女優を見抜く力抜群である
ニキータの(アンヌ・パリロー)、レオンの(ナタリー・ポートマン)
5thエレメントの(ミラ・ジョボビッチ)そして今回末広涼子である。
多分彼女はいずれブレイクすると期待し、温かく待ちましょう。
2017年のノーベル文学賞は石黒一雄氏が受賞した。
彼の国籍は英国であるが。両親は日本人で彼も日本で生まれた人、
ノーベル文学賞の代表作は「The Remainis of the Day」=
「日の名残り」1989年出版され、1993年に映画化されている。
もう一本「Never let me go 」=「私を離さないで」2005出版され2010に
映画化された、これに一言なのですが・・・偶然にも、同じ日本人で
2012年にノーベル医学生理学賞を受賞した(中山伸弥)博士が
作製したあの「iPS細胞」の行き着く所をテーマにしたストーリーなのです。
iPS細胞とは人間の皮膚などの体細胞に因子を入れ、創られた
人間の組織や臓器に分化増殖する多能性幹細胞なのです。
iPSで作られた臓器は移植され多くの患者が救われることになるのです。
これはあくまで理論上の話であるが、最も優れた臓器を作るには人間
まるごと作ることである。何故なら臓器の大きさや、臓器として働きを
成したものを移植すればこれに勝るものは無いからだ。
iPSで精子と卵子を造り、それらを受精させれば理論的には人間は
創れるはずなのです。
という訳で、時は1967年ごろ、臓器移植により、もはや不治の
病など無くなり、寿命は100才を超える様になった。舞台は田舎町に
あるヘールシャムという学校。そこで遺伝子工学で創り出された人間
クーロンが、幼少期から16才まで養育されていた。臓器提供のために・・・
外界と隔離された全寮制の学園である。保護官の下で厳しく教育を
受けている。ある意味自分の意見を持てない従順な生徒が造られる、
しかも自分達は何のために存在するのか?将来臓器を提供する
ためのヒトモドキであることはハッキリと教えられていなかった。
少年や少女はこの学園で育ち卒業した。大人になった三人、
キャシー(キャリー・マリガン)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)
そしてルース(キーラ・ナイトレイ)当然三人の間に愛や性があり、
静かな葛藤があった。
臓器提供すると一回で使命完了(死去)もあれば四回にも
及ぶことがある、その時は意識はあるがだた見ているだけの固まり
に過ぎないのだ。当然死にたくはない、しかし粛々と提供して行く。
過酷で残酷な事であるが、止めるべきと言う人間はいない、
なぜなら今更癌を不治の病に戻せない。自分の子供や配偶者や
親を不治の病で死なせない事の方が大事なのだから・・・クーロンは
自分達とは異なる、家畜と同等と思うしかないのだ。
キャリー・マリガンの抑制した演技、本当に目だけで演技をやり遂
げた。しかし、あの悲しそうな目で見られたら、あまりに不憫で、
こんな計画は止めろ!と叫びたくなった。
殺伐として風景のイギリス、ノーフォークの海岸に打ち寄せる波と風と
提供者の若者たち、正に寂しさの極みであった。
エミリー校長(シャーロット・ランプリング)の言葉が重い。
監督マーク・ロマネク
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