名優達はさすが芸達者、それぞれの役割を十分果たしている
1991年、ジョナサン・デミ監督は「羊たちの沈黙」で
アカデミー作品賞、監督賞ほか男・女主演賞も独占した。
2001年、名匠リドリー・スコット監督は「ハンニバル」を
重厚な作品に仕上げた。
そして今回「ラッシュ・アワーのⅠ&Ⅱ」のブレッド・ラトナー監督が
ハンニバル・レクター3部作の初本に当る「レッド・ドラゴン」に挑戦した。
彼の今までのキャリアーはこの手の映画と明らかに異なる作風である。
果たして大丈夫か?
配役が凄い、A・ホプキンス、E・ノートン、R・ファインズ、H・カイテル
エミリー・ワトソン、P・シモア・ホフマン、M・ルイーズ・パーカー
果たして彼らをコントロールできるのか?
これら名優達はさすが芸達者、それぞれの役割を果たし、
犯罪の異常性も伝わり、よく出来ている、
十分楽しめる映画に仕上がった。まぁ合格点、
しかし、終わった後、何も引き摺らない、何も残らない。
あの「羊たち」の時は、女CIA(クラリス)の生立ち、
被害者たちの無念さや、殺人鬼バファロー・ビルの異常心理が
私の心に残り、羊や R・ドラゴンの原作本も読み漁り、
実際の元ネタ(エド・ゲイン)の犯罪資料をみたりした。
「ハンニバル」を観た後は、フェレンツェ教会の壁画、
欧州芸術の重厚さに圧倒され、キリスト宗教画の本など
パラパラと捲ったりした。
「レッド・ドラゴン」は単なるホラーの秀作の域を出ていないと思う。
この映画では、原作本に、しっかり書かれていた異常殺人者ダラハイドの
「生い立ち」と「奇形」の部分が完全に削除されていたのだ。
よって何故、あんなにウイリアム・ブレイクの赤き竜の絵に
囚われるのか判らない。 又何ゆえ、あんな猟奇的な殺し方を
するのか判らぬまま、単に「異常な奴」で片付けられてしまった。
この犯人の幼児期の「被差別」は重要な核であると思う。
かってTV版「砂の器」でも被差別の部分がカットされ、
犯罪動機が弱く、印象薄い作品になってしまった例もありました。
これは原作本と映画の限界点かもしれませんネ。
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