1960年代の戦争映画(第二次世界大戦の欧州戦線ばかりだが)を
コメントしてきたが、忘れてならない1977年の英国制作の名作があった。
1970年代になると、60年代の「ノルマンディー上陸作戦」映画の様な
連合軍押せ押せムードの英雄活劇が終わり、兵隊個人の悲劇的エピソードや
連合軍の失敗作戦も画かれるようになってきた。
連合軍の失敗作戦となると「マーケット・ガーデン作戦」がある。
それを映画化したのが「遠すぎた橋」(A Bridge too Far )1977 である。
英国映画であり、監督は英国人の名優(リチャード・アッテンボロー)ゆえ、
ハリウッド産のイケイケムードと異なる。
ノルマンディー上陸作戦から3か月経った1944年9月、敗退す
ドイツを追いかけ、連合軍の戦線は急速に拡大したが、間延び状態と
なった。戦勝楽観論も出始め、クリスマスまでに戦争終結させたいという
ムードに押され、一挙に勝負を掛けるべく、連合軍は大作戦を図った。
ドイツ軍の支配地、オランダ南部に英・米軍大空挺部隊をパラシュート
降下させ、そこから要害である5つの橋を確保し、機甲軍団を招き入れ、
一挙にドイツのルール工業地帯を攻め入れば勝負あったというものだ。
しかし空挺部隊がパラシュート降下する場所は目的地の橋から20km
も離れているドイツ軍の真っ只中に降りるという無謀なものであった。
第一陣のフロスト中佐(アンソニー・ホプキンス)率いる「英第一空挺
旅団第二大隊」はなんとか橋にたどり着いたが、次々押し寄せる
ドイツ軍に包囲され、壊滅状態となった。
米軍キャビン准将(ライアン・オニール)率いる米軍第82空挺師団も
別の橋に辿り着くも、眼前でドイツに爆破され渡り橋を失った。仕方なく
クック少佐(ロバート・レッドフォード)率いる第三大隊はボートで川を
渡るが、ドイツの激しい機銃の餌食となり多くの死傷者を出した。
支援部隊のソワボフスキー准将(ジーン・ハックマン)率いるポーランド
第一空挺旅団も夜間、ボートで川を渡るが、途中照明弾と機銃攻撃を
受け大被害となった。
正に屍累々の惨状となり、連合軍は撤退を決断した。結果最前線
部隊は捕虜になり、橋を占拠できず、事実上は大失敗作戦であった。
この映画は延々・長々と戦闘シーンを繰り返す。当時「遠過ぎた橋は
長すぎた映画」との批評もあったと記憶する。
そもそもこの作戦は英軍のモンゴメリー元帥が強力に推進した作戦だが
彼は①ドイツの最後の一撃は「英軍として名声を得たかった」。また
南部戦線にいる米軍のパットン将軍に先んじられるのを恐れていた。
②英米軍とも膨大な訓練と費用を費やした空挺師団(パラシュート
部隊)を使わないまま戦争が終わったら、後々大きな批判を受ける
ことを恐れていた。
③連合軍総司令官アイゼンハワーもクリスマスまでに戦争終結すべく
焦っていて、この無謀な作戦に妥協してGOサインを出してしまった。
④降下地点が20kmも離れた所を指定したのは、英空軍が兵隊の
危険よりもグライダーの保全を優先したからである。
⑤この落下地域にはドイツ最強のSS機甲師団が残留しているとの情報が
あったにもかかわらず英軍ブラウニング中将(ダグ・ボガード)はその情報を
無視した。これはモンゴメリー元帥の気持ちを忖度して無視したのである。
将軍たちの面子、縦割りの軍事組織、現実無視の楽観で作戦は実行
された。
戦争とは「年寄りが始めて若者が死ぬこと」と言われる。正に蓋しである。
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