« 2010年12 月 | メイン | 2011年2 月 »
投稿情報: 12:56 カテゴリー: コメディー | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2011年1月、米国シカゴへ行って来ましたので、
2003年に観て書いた、映画「シカゴ」を紹介。
ニューヨークのブロードウエイ舞台は今もヒット上演中です。
アメリカの圧倒的!なバイタリテェーを見せつけられた。
やはり、この2003年、イラクにあえて戦争を仕掛けるような国は
どこか違う、軍人から芸術家まで、皆一生懸命なのだ。
「CHICAGO]はあらゆる才能と、そしてお金を注ぎ込み、
創られた映画だ、それは芸術の創造というより野心の達成だろう。
大半は半裸女性たちの歌とダンスの派手なショーの中でストーリーは
展開する、よって、私の目はオープンからエンドクレジットが消える
まで画面に釘付だった。
(レネー・セルウィガー)はメディアを煽り、また翻弄されるスキャンダル・
ヒロインを旨く演じ、私には、終始マリリン・モンローを彷彿させた。
(リチャード・ギア)は、今回、女性二人に花をもたせた。
今更「オレが俺がの年でもなし」彼の貫禄振りに敬意を表したい。
半裸婦達の背中を転がる踊りに、幸せそうなオヤジ顔が垣間見えました。
そして(キャサリン・ジーダ・ジョ~ンズ)!
彼女の歌と「踊り」に圧倒された。
「マスクofゾロ」’98で見事な剣捌きに見(魅)せられ、
「エントラップメント」’99では赤外線金庫での驚異の柔軟体操を
見せてくれた。彼女に出来ないことはなさそうだ。
彼女から強い自信と常に野心が感じられる。
そうだろう! 欧州から来て、いつの間にやら、ハリウッドのドン
(カーク・ダグラス)の孫を二人も生み、今回アカデミー賞を獲得したのだ。
このまま行けばハリウッドの女帝になれるかもしれない。
2003年明けてから「ギャングof NY」「キャッチme if 」、そして
「CHICAGO]と続くパワー全開の米国映画に圧倒されっぱなしだ。
晴耕雨読的日本映画は、パワーでは負けてます。
投稿情報: 05:22 カテゴリー: 2003 見た映画, し | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: 05:25 カテゴリー: あ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: 06:59 カテゴリー: あ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: 16:10 カテゴリー: あ | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
投稿情報: 06:30 カテゴリー: と | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
おはようございます。
数日前BS-2で「哀愁」('40年作品)が放映されました。
古い映画係として無視できません。またまたお許しを。
20世紀でbestメロドラマは何か?と聞かれましたら、
私は迷わず「哀愁」と答えます。
この映画はその後のメロドラマの雛型になりました。
時は第一次世界大戦下、舞台はロンドン、ウォーター・ルー橋で
出会った英軍将校と踊り子の、甘く切なく悲しい恋物語でした。
昔の主役は美男美女が務めるものでした。男は(ロバート・デーラー)
ヒロインは(ヴィヴィアン・リー)映画モノクロに拘わらず、
「風と共に去りぬ」のスカーレットより美しかったと思います。
蛍の光のメロディーでのダンスはいつまでも忘れないシーンだ
一本ずつキャンドルが消えて行き、最後の一本が消えた時、
二人の心が一つになった。本当に見事な恋に落ちた表現です。
この映画のプロットは、その後多くの恋愛もので,何度も何度も
使われました。戦争による別離、プラットホームの別れ、おまもり
運命的なすれちがい、愛する二人の身分の差、
そして橋の上の出会いや,逢引の場所は橋にかぎる
そういう意味で、この映画はメロドラマのバイブルなのです。
今年のクリスマスにこの映画のキャンドルクラブの
シーンを真似みてはいかがでしょうか?
エ!そんな手は古いですッテ・・
・・・きょう日の恋愛に風情は必要無いのですネ・・・・
この映画の評価やはり百家争鳴ですネ
18才未満お断りでしたので、中年男一人で見るのが、なにか気恥ずかしく
女房に付き合ってもらいました。
なにしろ「あの2001年」'68 の「あの時計仕掛け」'71 のキューブリック作品です
期待しないではいられない、テーマはなんだろう生命か?狂気か?本能か?
長い映画でしたが集中できる映画でした。しかし終わってみると、さて
監督は何が言いたいのか?単純な映画だったが、ムムム・・・難解だ
土曜ナイトだったし、久しぶりに女房と場末のバーで一杯。当然話題は
この映画は何を言いたいのか?あの妻の妄想と夫の性衝動とあの結末は
何だ? 不倫映画が氾濫する中で何故夫婦とも、あえて本物の不倫に至ら
ない映画を作ったのか?
現実の方が異常かつ猟奇的な性風俗がある中で、何故程々の性描写に
留まったのか?
若干のラブシーンとあとは夫婦の性に関する会話の連続だが、これは
クルーズ&キッドマンという本当の夫婦だから聞ける内容で単なる俳優で
は、とても白々しく聞けないだろう。
さて我々の間では「何もしてない夫は謝る必要ない!」「それって勝手!」
「男はやっぱり・・とか 女の方が・・とか 私だって・・」な・な・何と!
我々まで、まるで「アイズ・ワイド・シャット」ではありませんか。
今までこの手の話題などした事がないのに「改めて」言葉で表現するなど
とは驚くべき現象だ!
結局、激しい性描写に走ったり、夫婦で徹底的裏切り映画にしてしまえば
刺激的だが底の浅い映画で終わったのでしょう。そうかこれだ!
さすがキューブリック!
世界中の夫婦や恋愛カップルを知らず知らずの内にアイズ・ワイド・
シャット・(性を語らせる)シンドロームに引きずり込んでいたのです。
投稿情報: 06:14 カテゴリー: 1999 1998 見た映画, あ | 個別ページ | コメント (0)
最近のコメント