話題の「地獄の黙示録・特別完全版」’02を観ました。まぁ53分の
補足を付けたものの、私には依然理解を超えていた。23年経って、
初めて観る若者や、再見する熟年をまた混乱させるこの名(迷)作に、
改めて敬意を表したい。(P・ライアンならこうは行くまい)
1980年「地獄の黙示録」を始めて観た時のことを思い出した。
本作品は未完成のまま、カンヌ映画祭でグランプリを獲った。
そして、一般上映されるや、世に大きな衝撃を与え、賛否両論や
その主題をめぐり多くの論争の渦となりました。
この映画は評論家ばかりでなく、世の社会学者達も批評に参加
あの(立花隆)も「地獄の黙示録研究」なる論文を発表し
「誰もコッポラのメッセージがわかってない」と書いていた。
また原案となったコンラッドの「闇の奥」から分析した文学者も
いれば、英語のダイヤローグから分析した英語学者もいた。
映画の舞台は、まぎれもなくベトナム戦争であったが、
この映画に戦争活劇を期待していた私は見事に裏切られた。
主題は「戦争の根源」を求める難解なものだったのだ。
コッポラも言っている「真に描いているものはヴェトナムではない
アメリカそのものだ」と・・
映画を観た後、私もすっかり迷路にのめり込み、その当時
原作本はじめ多くの雑誌や論評を読みあさったものです。
またこの映画の製作は難産を極めた。そもそもヴェトナム戦争を
テーマにするには、後遺症がまだ残る米国では、映画の鬼門と
言われていた。よって米軍の協力は全く得られなかったのだ。
ウィラ-ド大尉役は当てにしていたスティーブ・マックイーンに
拒否され、やっと決まったハーヴェイ・カイテルは途中でマーチン・
シーンに交替劇となった。そのM・シーンも病気でダウンする有様。
極めつけはフィリピン気象史上最強の台風にメチャクチャにされ
セットの作り直しを余儀なくされた。フィルムは百万フィートに
および、今回の如く特別完全版を何作も作れる所以である。当然
予算オーバーは巨額となり、発表までに3年の歳月を要したのだ。
最後にカーツ王国の(アンコールワット風の)死の寺院は爆撃で
破壊される。正にこのラストこそ、この映画の象徴であろう。
しかし23年後に米国の象徴(ワールドトレードセンター)が爆破されるとは・・・
コッポラ言うが如く「描いたのはヴェトナムではない
正にアメリカそのもの」だったのかもしれない・・・
コメント
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