本日から映画瓦版に参加させていただきます。
今後宜しくご指導お願いします。
(1998年私の記念すべき、最初の投稿であります。)
少々古い映画ですし、もう皆さん既に見て、諸処評論済みでしょうが、
一般に評価が低いので弁護の意味で意見を述べさせて下さい。
私は年齢から(48歳)古くからのゴジラファンであります。
私が日本のゴジラについて長年不満に思っていたのは
1)ゴジラの出現により民衆が逃げ惑うのですが、既に遠くに逃げており
ビルや東京タワーを破戒するのを不安そうに眺めている
典型的な2重写しによるSFXでありました。
いったいゴジラの足元に逃げ遅れた人踏み潰された人、
瓦礫の下敷きになった人が映像化されないことに不満でありました。
米国ものは、まさにゴジラの足元に視点を置き個人対ゴジラの戦いを
徹底的に表現し、優れた映像となっております。
2)この手の映画の最も面白いのは出現するまでの変な兆候や、
漁船の被害、各地の異変と原因を究明しようとする学者の推理でありましょう。
しかし日本のゴジラは既に有名で謎は全くなく、登場即街を破壊となります。
これはもっともミステリアス、スリリングなところをカットしているのであります。
その点米国ものは、足跡、貨物船の被害、特に難破船の損傷の跡がリアル、
漁船の被害や釣り人の遭遇など、極めてデテールにこだわっており、
引き込まれていくのです。
3)残念なのは日本の漁船が襲われたとき、かならず最初の被害者を
演じつづけてきた江幡高志を起用しなかった事が悔やまれます。
東宝が権利を売った条件に、被害者役でゴジラゆかりの役者起用を
条件にすべきであったと思います。江幡高志、小泉博、宝田明、
など被害者役で出せば、形は違ってもやっぱりGODZILLAはゴジラだと
ファンは思ったはずであります。
4)私がGODZILLAでどう処理するか一番注目していたのが核問題であります。
ご承知の通り、ゴジラは核実験でできたものでいわゆる反核映画でもあります。
核大国米国はこの問題を見事な狡猾さで解決したのです。
つまり主役にわざわざフランス人ジャンレノを起用したのがみそ、
つまりフランスの核実験により出来た怪獣とし、ニューヨークは被害を受け、
フランスが自責の念でゴジラと戦うと言う設定に作り上げたのです。
アメリカ人の自分の核実験を棚に上げて、フランス人に謝らせる
腰を抜かす脚本を作り上げたのです。その意味で見事と言わざるを得ません。
5)以上の如く脚本、映像技術、デテール、視点とも優れており、
もはや日本が誇っていたゴジラはもう2度と日本で制作出来ないとおもいます。
コンピューター対ぬいぐるみでは勝負にならないのです。
この点ゴジラゆかりの東宝重役や監督、映画評論家が優秀さを認めないのは
潔くないと思います。
政治、経済、サッカー、どれも日本は落ち目ですが、GODZILLAの敗北こそ
最も日本が力を失った象徴でありましょう。
6)最後にゴジラが日本で果たしてきた大きな役割は父と子の信頼であります。
エログロ、暴力の日本映画で父と子が唯一見れる映画がゴジラだったのです。
恐がる子供にとり、父が頼りという構造は父権を守る重要な役割でありました。
その様な意義ある国産映画が無くなったというのは誠に寂しい限りであります。
その様に感じたのは私だけでしょうか?
以上いろいろゴジラとGODZILLAについて述べさせていただきました.
ご静聴ありがとうございました。
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