2009 年 アカデミー賞外国語部門に ノミネートされています!
家族の死をテーマにするのは、映画として少々ルール違反と思っている。
つまり愛する身内を失った人は、誰でも自分の事として感じ、思い出し、
感動し、涙するからだ。
いやぁ~この「おくりびと」オープニングの納棺儀式が始まるとすぐ
もう私の涙腺が決壊してしまった。父が死んだ時を思い出したからだ。
父の葬儀の時、はじめて納棺師(のうかんし)の作業を見た。この映画
ほどおごそかな感じはしなかったが、手際の良さに感心した記憶がある。
体を消毒し、拭き、顔を整え、死装束に着替えさせ、棺桶に納めるのだ。
この映画では、納棺という作業は正に儀式であり、美しい手際によって、
死者に最後の愛情と尊厳をささげる行為に昇華させた。
それは納棺師の大吾を演じた(本木雅弘)の丹精な顔立と誠実な人格が
神事を感じさせ、そして何と言っても画面全編に流れるチェロの低い響が、
死者を旅立たせるための「レクイエム」であったからだ。
音楽は(久石譲)、旨いはずだ、本当彼は日本映画音楽の最高峰にいる。
大吾の妻に(広末涼子)、夫の勝手な借金も失業も許し、田舎にも付いて
行くけなげな妻を好演。しかし夫の新しい仕事「納棺」に「汚わらしい!」
と罵り大反対する。
それはそうだろうな、日本でも古(いにしえ)から、むくろといえば、戦の
屍骸、疫病の屍骸、飢えた屍骸と忌わしきものであり、その始末は最も卑賤
(ひせん)な人がする作業とされ、古来から身分制度の闇でもあったからだ。
納棺会社の社長に(山崎努)、この人はいつも映画の中で存在感抜群である。
「お葬式」'84で喪主を演じており、この「おくりびと」の納棺師ですっかり
葬儀を極めたといってよい。
「お葬式」も「寝ずの番」'06もそうだが、葬儀には必ず「人間ドラマ」
がある。死者の人格、死者の身分、死者と残された者の関係、死に方で
葬儀の様相は大きく異なり、これが不謹慎ながらドラマになるのだ。
滝田洋二郎監督はこの葬式風景から、日本人の様々な生活と人間関係を
面白く画いている。
死というものは人間の共通項目であり、悲しみはどこの国も同じである、
よって、アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされたからには、必ず
受賞できると確信しました。今年のアカデミー賞2月23日は楽しみですネ。
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