餌(人間)は無尽蔵
エイリアンには
正統エイリアンの系譜と、傍系エイリアンの系譜がありますネ
正統派は宇宙二等航海士リプリー(シガニー・ウイーバー)と
エイリアンとの運命的な戦いを続ける映画、監督達はこの
エイリアンでブレイクし後々皆、巨匠や鬼才と呼ばれるに至る
正に一流監督になる「登竜門的」な映画でした。よって
シリーズⅠ~Ⅳまで監督の個性により風味が全く異なります。
傍系とは正にこの「エイリアンVSプレデタ~」であります。
同じエイリアン映画でも出来は「天と地、ピンとキリ」の差、
正統派に比べ、金の掛け方も、出てくる俳優も格が違います。
エイリアンⅠ('79)は鮮烈な衝撃をもってデビューしました。
ストーリーは単なるB級のホラーSFでも、当時新鋭CM監督
だった(リドリー・スコット)の才能により、閉鎖空間の絶望的
な恐怖が画かれ、観客はその出来の良さに驚いたものです。
エイリアンⅡ('86)はターミネーターで世に出たばかりの新鋭
SF監督(ジェームス・キャメロン)により、壮絶なるバトル
映画が作り上げられたのです。
エイリアンⅢ('92)は新人監督ディビット・フィンチャーに
任されました。それが前作と全く赴きが異なる暗い中世修道院の
宗教的な崇高な作品に仕立てました、まるで「薔薇の名前」風味。
実は私、この作品が一番好きなのです。D・フィンチャーは後に
「セブン」や「ファイトクラブ」を作るに至る。
エイリアンⅣ('98)は完結編と銘打ち、フランスの鬼才監督
ジャン=ピエール・ジュネを招へいし、もうクローン、DNA、
生命の神秘の世界、もはや神のレベルに達したS・ウイーバーの
達観ぶりを見せてくれました。
さてエイリアンVSプレデター2、いよいよエイリアンは地球に
侵入した、彼らの餌(人間)は無尽蔵だ、おのずと表現も無規範
無制限 留まるところを知らない。
元祖の特許が切れれば何でもあり!だ。有名な腹を破って出てくる
シーンなど、正統派がやや控えめだったのに、今作は人間の妊婦の
腹を破って赤ん坊とエイリアンが同時出産するなど、グロの極み、
小さな子供も容赦なく食い殺されるのです。
いやまてよ「人間は万物の霊長」=(人間は地球上の生物の中で
最も優れた生物である)なぞと威張り、他の生き物を殺し食べて
きたが、人間より強い生物がいたらこんな惨状だろうと思えば、
この映画もなかなか見れることが判りました。
B級、グロだと言っても、結局見てしまう私もB級なのでしょうネ。
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