世紀の大作[スターウォーズ・エピソードⅡ・クーロンの攻撃]を観て
参りました。四半世紀も続く映画なんて、もはや世代を超えた映画だ。
親が子にクラシック3部作の講釈が出来る映画となると、
このスターウォーズか日本の「ゴジラ」くらいなものだ。
この映画の生みの親、ジョージ・ルーカス監督はこのSW映画一本に
掛けて来た珍しい監督である。普通、映画監督というものは、いろいろ
な作品に挑戦したいものだ。スピルバーグもコッポラも種々毛色の変った
作品をつくり、時には大コケもしてきた。コッポラは破産も経験した。
しかるにG・ルーカスはこれ一本!5年に1本!である。
これは全くの私見なので怒らないで下さい。
彼は筋金入りのSFオタク監督というより、SFX製作をシステム化し
事業として成功させ、また映画キャラクターグッズを販売して一儲け
した優れた事業家、そして正真正銘のアメリカンドリーマーと思う。
さて私の場合、少々高い年齢で旧第一作を見たので、SWのオタクに
ならぬまま、一ファンとして全作品をズ~ット見てまいりました。
クラシック3部作はいわゆる「ファンタジー/お伽噺」であった。
全くシンプルな活劇で、主役は海賊船長ハン・ソロ(ハリソン・フォード)
なのかと思っていた。
しかしEpisodeⅠ・Ⅱを見ると主役はあくまでルーク、レイア姫、
オビワン、ダース・ベイダーの系譜であり、ハン・ソロは単なる
流れ者に過ぎないと、今回判った次第。
クラシック3部作に一部恋愛シーンもあったが、なにしろ、あの
ラブシーン下手のH・フォードとややオカメ顔のレイア姫
(キャリー・フイッシャー)のカップルゆえ、さっぱり恋愛に見えず、
すっかり宇宙活劇に埋没してしまった。
さて何かと批判も多いこのEpisodeⅡであるが、私の場合
「目から鱗が落ちた」印象である。遅いヨ!と叱られそうだが、
クラシック3部作との人物相関図が全て判ったし、「砂の惑星」の如く
複雑な宇宙戦争の経緯も判った「スターウォーズの世界観・歴史」が
紐解けたのです。
さらに主役がよろしいパドメ・阿弥陀羅姫(ナタリー・ポートマン)の
美しさは目をみはるものだ。あのレオンの少女がよくぞ成長された。
穴金・スカイウォーカー(ヘイデン・クリステンセン)もハンサムで
危ない影がある青年を旨く演じ、好感が持てる。
この若い二人が許されぬ恋に苦しみ、しかし恋に落ちて行く様が
よく判る、さらにEpisodeⅢで二人の暗い行末を予感させる。
殺伐としたSFXとCGのスターウォーズ5作の中で、はじめて、ゆっくり
「恋」を画いたのだ。意外にも、私にとっては最も感情移入でき、
最も好きな作品となった次第。
しかし筋金入りのスターウォズメィニアからはメカニックとファンタジー
に徹して欲しい、よけいな感傷は無用だ!との反発があるでしょう
G・ルーカス監督も上記SW原理主義ファンと私の様な大河メロドラマ
主義の狭間で揺れ動いているのでしょう。
もっともEpisodeⅠについては、どっち付かず、で全く面白くなかった
(ジャー・ジャー不人気の所為にするのは可哀相)
しかし、どちらにせよEpisodeⅢが封切られれば、いままで観てきた
我々は、またぞろぞろと観にいくのでしょうネ
それは、まるでカミーノ星のクーロン兵の如くぞろぞろとである。
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