M:I-1,M:I-2(ミッション・インポッシブル1&2)を観て、
心の奥でジ~~ッと思っていたのですが、
心の赴くまま、一言述べることお許し下さい。今回長いですゾ・・
私は1966年からテレビシリーズとなった「スパイ大作戦=原題ミッション
インポッシブル」の筋金入りのファンだったのです。
1級品のドラマなのにどういう訳かいつも深夜番組?でした。
何ゆえ、この作品が好きだったのか、それは、いわゆる多くの
「スパイ-アクションもの」とは根本的に異なったコンセプトを持った
作品であったからです。
当時のスパイものの主流は「007」を中心にして、アクロバット的
アクションと派手な銃撃戦、そしてラブシーンサービスが売り物でした。
その手のものでは「ナポレオン・ソロ」「アイ・スパイ」そして「電撃
フリント」などがありました。
「スパイ大作戦」はそんな中で異彩を華っていたのです。
カーアクション無し、人殺し無し、ラブサービス無し、正にプロ中の
プロの技、つまり変装と声マネ、幻覚剤、最新メカニックを駆使して
敵を騙しトリックに掛けて自滅させるのが定石のドラマだったのです。
派手なアクション無しでも十分エキサイト満足させられたものでした。
さて(トム・クルーズ)もこの番組の大ファンだったとのこと、
大スターの彼が製作& 主演して、それを再現したかったのは理解できますが、
スパイ大作戦の「敵を殺さず、だまして、任務を果たす」という
大人のプロスパイの概念をすっかり捨て去ってしまったのです。
見せ場はT・クルーズのための独壇場ばかり、スパイ大作戦の面白さは
本来プロフェッショナル達の集団ドラマだったはずです。
マーチン・ランドウの変装、シナモン=バーバラ・ベインの色仕掛け、
ウイリーの力仕事、バーニーのメカニック、そしてピーター・クレブスの
作戦計画などなど・・彼らに相当する人は誰もいない・・
映画興行としては、今の見せ場映画でよいのだろうが、勝手に概念まで
変えられては困りものだ。007と対極にあった「スパイ大作戦=ミッション・
インポシブル」を007とアクションを競うなどとは許されない事なのです。
我々かたくなな「スパイ大作戦ファン」に対してM:Ⅰ&2の映画の最初に
コトワルのが礼儀ではないか!
[この映画は題名と主題曲だけチョット拝借しただけですスミマセン・]と
かたくなな仲間おられましたら、ご意見を・・
コメント
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