その昔、病院のミスで「赤ちゃん取り違え事件」があったが、
大変な事だな~と思った記憶がある。しかしどう解決したかは知らなかった。
この映画「そして父になる」は、生まれて6年、小学校に通っている自分の
男の子が、突然、病院の「取り違えミス」で他人の子であったことが判った。
その二つの家族の親と子がどうしたか?を映画化したものであります。
子供の血液型が合わないので、病院の要請でDNA検査を受けた。
結果は「生物学的に親・子関係はありえない」との冷酷な診断を受けた。
「血は水より濃し」の如く親と子は血なのか?「生みの親より育ての親」の
如く一緒に暮らした時間なのか?
生物学的、遺伝子的なことが大事なのか?それとも環境や記憶が大事なのか?
ミスを犯した病院はいう、管理が行き届かなかった昔はよく「取り違え」があった。
その場合、100%血のつながった子供を選び、出来るだけ早く交換したものだ。
祖母はいう、昔は里子だとか、養子縁組とか良くあったものだ。一緒に親子として
暮らせばそれが親子なのだヨ。
6才といえば小学校1年生、可愛い盛りである、ある意味、親と子が一番ベタベタ
している時でもある。子供は自我もでき、記憶もある、しかし理性で判断できる年
でもない。
赤ちゃんならば、本能で親が変わったことを感じても、感情や意識が無い。
十分大人であれば、悲しむだろうが、自分で判断して自分で割り切るだろう。
6才児ゆえ、一番愛し、一番頼りにしていた親が替わることは、まるで親に捨て
られたと同じであり、この映画の如く、心が大きく傷つくことになる。
日本がまだまだ貧乏で、大家族・子だくさんの時代で、個人の感情に配慮が
薄い時代なら、「もどしておけ」で片付けたかもしれない。
武士の時代から昭和初期まで「御家」が非常に重要であり、後継ぎがいなければ
「藩お取り潰し」「廃家」となるため、よく親類からの養子・縁組が多かった。
お家大事と子供の感情などお構えなしに、父から「行け」と命令されたのだろう。
現代は現代で「幼児虐待」「育児放棄」が頻発している。ここまで来ると血の
つながりなど意味をなさない。
さて!この映画、子供の交換する前提で行き来することになった。問題はこの
二つの家庭の環境が大きく異なっているのだ、親の子育て哲学も異なっている。
しかし両家庭とも「良い家族」であることが救いである。
野々山家 男児は慶多くん、父親・良多(福山雅治)、母親・みどり(尾野真知子)
一流会社に勤め、いわゆるエリート、仕事人間、高級マンションに住む、子供を名門
私立学校に通わせ英才教育を図る、父の哲学「小さいうちに苦労させた方が後が楽だ」
斉木家 男児は琉晴くん、弟と妹がいる三人兄弟、父親・雄大(リリー・フランキー)
母親・ゆかり(真木よう子)。
群馬で小さな電気店を営む、子供は三人、いわゆる一般庶民の代表、金持ちでは
ないが、父の考えは「できだけ子供と遊ぶ」「一緒に風呂に入る」である。
どうなるかはロングランしていますので映画でどうぞ・・
題名「そして父になる」の如く、エリートであり合理主義の父(福山)がこの事件
を契機に改めて子と向き合い「父」を自覚していく映画である。
当事者ではないので勝手な意見であることをお許しいただきたいが・・
父は勝手なものである、子が活躍すると「俺の血だ!」ドジると「女房に似た!」
と人のせいにする。いよいよになると「俺の子だも、しかたないよナ」と諦める。
血が繋がっている故の「自慢」もあるが、血ゆえの「アキラメ」と「寛容」が
できることが大事であると思う。
監督は是枝裕和、この映画で見事!カンヌ審査員賞を受賞した。
映画の中で、さばさばしていて、優しさを秘める母親を演じた(真木よう子)が
良かったネ
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