どんな民族も、支配と被支配、同化と迫害、さらに先住民族根絶
など、封印したい歴史をもっているものだ。否! 歴史ではなく
今だに少数民族差別は脈々と続いていると思われる。
新大陸オーストラリア、過って移民白人による先住民族アボリジニ
に対する民族根絶、同化政策があった。先のシドニーオリンピック
の開会式で、やたらとアボリジニの神秘性を強調し敬意を表して
いたが、それは紛れもなく世間に対する贖罪のショーであった。
この「裸足の1500マイル」はアボリジニの3人の女の子の物語
モリー14歳、妹のディジー8歳、従姉妹グレイシー10歳の物語だ。
私にとって少数民族ものは、哀れっぽく惨めで好きなジャンルでは
ない。しかしこの映画は逃走する少女と、追跡者の執拗な追っ掛けと
知恵比べにドキドキするようなスリルを感じ、凄く面白い。
アボリジニの惨めさは微塵も感じられない。むしろ、してやったり
の爽快感すら感じる。これは皆さんにお薦めの映画です。
それにしても白人の身勝手な同化と教化の理論にはあきれるばかりだ、
アボリジニと白人の混血を3代繰返せば白人と見分けが付かなくなる。
その為に、現在混血の女の子を親から隔離し、白人社会へ教化させ、
さらに混血を図るというものだ。
無理やり母親から引き離された幼い子たち、これは惨い仕打ちだ、
収容所で白人社会の教育を受け、その後白人農家の下働きとなる。
さすればいずれ白人との混血が進むだろうとの意である。それが
蛮族から人間になるためのアボリジニ救済の道であるというのだ。
正に驕れる白人の理論である。
かってTVドラマ「ルーツ」で生物学者が「黒人」は人間か動物か?
の判断基準として、男のぺ@スを比べて、これほど巨大なのものを
持つのは獣の証拠であり、「もっとも人間に近い動物」であるとの
定義を思い出した。当時の白人達の感覚はこんなものだった。
さて混血児教化収容所から脱走した3人の女の子は、歩いて母の
いる故郷へ向かう。その距離1500マイル=2,400kmは日本を縦断
する距離である、幼い子を導く力はたった一つ母に会いたい一念。
3人の笑みに見せる真っ白い歯とキラキラ光る目は、まぎれもなく
強い意思と優れた知恵を証明し。白人達の教化など大きなおせわ、
無用の長物であることが判る。
とても演技と思えぬアボリジニの3少女、荒涼としたオーストラリア
の大自然、全体を覆う不思議な音楽、どれもすばらしい。
やはり、苛酷な自然を生き抜いた、幼い子達の強い意思と生命力に
敬意と賞賛をおくりたいと思います。
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