それは1962年のお正月だった。「ウエスト・サイド物語」初見
姉と共に観たと思う、あまりの混雑でバラバラの席になった。
雑踏の熱気の中で感じたのは「これがアメリカというものか!」
次の日、学校で「指パチ」をして先生に叱られたと記憶。
その後、姉のLPレコードをこっそり聞く日々、好きな歌は「クール」、
我々60upの年齢は少なからずカルチャーショックを受けた映画と思う。
学生時代の出来事を一つ紹介、あるクラスメイトの誕生日に招かれた。
ホストの彼女はピアノで「マリア」を演奏し、歌詞も見ず英語で歌った。
すると一人、目立たぬタイプの男生徒が合わせて「マリア」を歌い
始めた。え~お・お前が!驚いた、彼女も驚きながらピアノを続ける。
カラオケなどない時代、「トゥナイト」「ひとつの心」など全曲を
歌詞カード無しで二人は見事に歌い通したのだ。
英語の成績は良いと言えぬ二人、レコードを擦り切れるほど毎日聞き、
体で覚えた歌なのだ。当時そんな人も多かったと思う。二人はまるで
(マリアとトニー)、その後彼らは結婚した。Theカルチャーショック!
さて2003年、40年ぶりでこの映画を劇場再見。しかもデジタル処理の
結果すばらしいニュープリントとなった。画期的技術進歩に感謝。
ジェット団対シャーク団、当時、彼らの姿は不良中の不良に見えたが、
今見ると長髪でもモヒカンでもなく、髭もなく刺青もない、ピストルも
使わず、薬もやらない連中、ダンスパーテーはネクタイ着用、今なら
模範生の部類だろう。時代の変遷をつくづく感じた。
今回はひさびさ女房を同伴、当然、彼女も乙女のころ、何処かの劇場で
観ていたはずだ。この映画を観て昔を思い出しているのだろう。
そういえば以前、カラオケなど歌わぬ女房がピアノ・バーで「サウンド・
オブ・ミュージック」の中の「マイ・フェイバリット・シィングス」を
諳んじ歌ったのを聞き、私は腰を抜かした事がありました。
この年齢の女性はレコードを自分のものにしていましたネ
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