昨夜、一昨夜、連続BS-2で恋愛名作を上映しておりました。
慕情(Love is many splendored thing)'55年作品
舞台は香港 中英混血の女医(ジェファニー・ジョーンズ)と
米国従軍記者(ウィリアム・ホールデン)未亡人と妻帯者であったが
一度燃え上がった恋は消せず、永遠を誓い合う、しかし彼は朝鮮戦争で
戦死する。彼女は香港を見下ろせる思い出の丘で彼を待つのだった。・・・
追憶(The way we were)'73年作品
同じ大学の学生(バーブラ・ストライサンド)と(ロバート・レッドフォード)
彼女は左翼学生、彼は金持ちのボンボン 卒業後再開し一緒に暮らす
彼は映画作家として売り出すが、マッカーシー旋風の中、左翼思想を
捨てられない彼女との別れが待っていた。
上映当時はウーマンリブ運動の時代であり、日本でも市民運動活発な
ころで、自分の生き方を貫く強い女性に共感が集ったものだ。
私が言いたいことは、最近のタイトル風潮、原題そのままカタカナ・
タイトルでは全く記憶が残らない、これではまるで電報電文だ。
今封切の「ラブ・オブ・ザ・ゲーム」2000だって、このタイトル
何とかならぬかネ?
私には慕情と聞いたら、追憶と聞いたら、哀愁と聞いたら、卒業と
聞いたら、そのシーンとその音楽が浮かんで来るのです。
それとも今の若い人にはカタカナの方が簡単にインプットされる
のでしょうかネ
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