普段、映画を観ない人、長年、映画館など行ったことがない人達が、
最も多く観た映画とは この映画「ALWAYS 三丁目の夕日」でしょう。
飲み屋のカウンターで、偶然、隣に座ったおじさんが熱弁していた。
「いやぁ~、娘に連れられて10年ぶりに映画にいったサ、そしたら
涙で涙でハンカチぐしゃぐしゃになってサ、タオルを持って行くべき
だったサ。」「あんた観たかい? 観た方がいいヨ」
ランチタイムの食堂で、おばさん達が「いやぁ~、懐かしくて
懐かしくて、昔 ああだったヨネ」ねぇ観た?観た?あの映画。
と!いう訳で、普段映画に縁遠い人達の熱烈・推薦を受けたので、
私も80を過ぎた母を誘い、女房と3人で劇場に行きました。
時は昭和33(1958)年
昔の上野駅、改札口の行き先看板を見た瞬間、不覚にも先ず
第一弾の涙が出た。VFXを駆使して、48年前の東京、否!
その時代をまるごと再現した。
年代からいくと、鈴木オートの一人息子、鈴木一平君は正に、私だ!
あの髪型、あの毛糸のセーター、あのキャラクターは正に私だ!
そして鈴木オートの妻トモエ(薬師丸ひろ子)が当時の母親像を
見事に再現してくれた。控えめで、しっかりしていて、そして
無条件にやさしい、おかぁさん!この映画のベスト・キャスト
は薬師丸さんデスネ。
セーターの「ツギあて」エピソードに私の涙線は決壊しました。
それから一杯飲み屋のおかみ(小雪)さん、町場の町内には
必ず、目立つ水系の美人がいたものです。人生を達観したのか、
優しく、サバサバしている。 好きだナこんな人。
町医者の宅間先生(三浦友和)さんも、いいデスネ
空襲で妻子を喪った悲しみと孤独を背負いながら診療をしている、
まだ医が算術でなかったころの立派な医者の姿を見せてくれました。
当時、町内には子供が大勢いました。赤いほっぺと青ッぱなで
ランニングシャツ姿で路上で遊んでいました。小さな自営業者が
様々な商売していました。当時の人にはみなぎる活気がありました。
今、便利で豊富な世になりましたが、失ったものも大きい様な
気がしますネ
一緒に行った母も、48年前の一番忙しくて、一番やりがいが
あって、心身共に一番充実していたであったろう時を思い出し、
感無量の様子だった。
とても良い映画に感謝しつつ、帰宅した次第です。
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