先般、TVで「セブン」'96を放映していた。
劇場で封切を観た時、「後味の悪さ、この上もなし」であったので、
その後、ビデオもDVDもTV再映も全て廃除していたが、たまたま
今回のTVは見てしまった。
殺人犯(ケビン・スペィシー)が天才的異常さを見事に表現。
この「セブン」で彼の後々のキャラを決定付けた作品と言えます。
己を射殺させる事で人間の深い大罪を完結させたのだ。
やはり後味の悪さは健在だった。
K・スペイシーの「ザ・ライフ・オブ・デビット・ゲイル」'03に、
(私だけかもしれぬが)セブンに共通するものを感じたので一言。
この映画は死刑制度の是非論と、事件の真相解明ミステリーの2
層から成り立っている。私も学生時代「死刑の是非について書け」
と試験を受けた事もあり、辛うじて「可」で通った事を思い出した。
死刑は「応報刑」の立場で存在する、人の命を奪った者は、
自分の命をもってしか償う事が出来ないというもの。
また死刑の威嚇によって犯罪が予防出来るとする「予防論」もある。
当時、私は「教育刑」の立場をとっていたので、殺してしまっては
更正できないし、「誤判」の場合、回復不可能として死刑反対の
立場でありました。
しかし昨今のオウム、毒カレー、一家惨殺など陰惨な犯罪の連続を
見るに、反対の立場に自信がなくなっています。
さてこの映画、死刑制度反対運動家で、売れっ子大学教授デビット・
ゲイル(K・スペイシー)は教え子からレイプで訴えられ大学を首になる。
妻から離縁され、最愛の子供からも引き離された。
社会的に転落した彼はアル中、自暴自棄になった。
挙句に彼の唯一の理解者で死刑反対の同士であった女性教授
(ローラ・リニー)までレイプし、惨殺した容疑で死刑宣告を受けた。
死刑まで残り3日間、テレビキャスター(ケイト・ウインスレット)は
独占インタビュー権を得た。彼の話を聞く内、キャスターはこれは
「冤罪」でないかと疑いを持つに至る。しかし時間が無い!
死刑執行ぎりぎりの再調査という設定は(C・イーストウッド)の
「トゥルー・クライム」'99に似ているが、結果は如何に?
ローラ・リニーが相変わらず旨い、市民活動家として使命感が
ひしひし伝わってきます、ゲイルとの同志的友情ぶりも宜しいし、
最期の男女のいとなみは胸を衝きました。
この映画は結末が全て! こんなこともあるのだろうか?
こんなことする人がいるのだろうか?
真意が判らない役をさせたらケビン・スペイシーに
勝る人はいない・・
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