最近のハリウッド戦争映画は戦勝国としての英雄活劇から
少々離れ、小さなエピソードから戦争の不条理を表現する
傾向にあると言った。
日本の戦争映画となると、敗戦国の立場ゆえ、もともと
戦争活劇や英雄的武勇伝はあり得ない。主たるテーマは
戦争に散った兵隊の悲劇や悲しみ、その家族や恋人との
別れが全てであった。
「硫黄島からの手紙」はハリウッド産だが、日本人が見ても
全く違和感が無く、日本人の戦争とその悲惨さを真正面から
画いた秀作となった。
これは完全に日本人から見た(日本人一人称)映画である、
米国兵の顔は見えない、考え(人格)も一切排除されている。
まるで米兵は意思をもたない正に鬼畜米英の扱いであった。
逆に先の「父親たちの星条旗」での日本兵は顔が見えない、
人格を持たない、唯々襲ってくる蛮族か忍者の扱いだった。
だから尚更、バロン西(伊原剛志)が傷痍米兵を人間として
扱かった結果、米兵も同じ人間だと知り驚いたシーンが生き
てくる。
一本の作品で日米両軍を平等に見えうるのは「神の目」のみだ。
この致命的な非現実性を、米国人から見た硫黄島、日本人から
見た硫黄島を完全に分離し2部作にしたことで見事なリアリ
ティーを作り出したのだ。イースト・ウッド監督は凄い人だ。
故黒澤明監督が40年前作ろうとした「トラ・トラ・トラ」は
想像するに、この「硫黄島」の様なリアルな作品を目指したの
だろう、しかしエンターティン映画を作りたいハリウッド陣と
対立し流産した。今頃、天上で悔しがっているかもしれない。
黒澤作品で気が付いたが、栗林中将を演じた(渡辺謙)さんは
もはや昔の(三船敏郎)の域ではなかろうかラスト・サムライ
の首領・勝元、そして硫黄島の栗林中将と続けば、正に武士の
本分、日本人の代表選手でありましょう、アカデミー賞の受賞
を期待するばかりであります。
この2本の映画を切っ掛けに、生還した元兵士の文章を読んだが、
あの摺鉢山に立てられた星条旗は、日本兵の決死の行動で2回も
日章旗に替えられたとか、洞窟の中で食糧のため日本兵同士の
殺し合いもあったらしい。
「硫黄島いまだ玉砕せず」は、あの戦闘直前に本土帰還した
警備隊司令が僧侶となり、硫黄島に慰霊碑を建てる半生を書し
た物語である。
また何と!戦後4年間も島の地下壕に隠れ生きた二人の兵隊が
出てきたが、その一人が後々、島の渡航を許された時、何と!
摺鉢山から投身自殺してしまったのだ。他にも様々な因縁話
が多々あるが、それは日本人が是非映画化してほしいものだ。
それにしても、我々日本人が知るところのなかった硫黄島決戦
という歴史的事実を白日にしてくれた米国人、C・イースト
ウッド監督に心より敬意を表したく思います。
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