その劇的な生き方によって、最も人気のある戦国武士といえば織田信長
だろう、そのせいか近年、信長に関する小説が多数書かれヒットしている。
小説の多くは、信長の英雄ぶりや生き様である、さらに本能寺で生き延び
たなど異説、謎解きものもブームだ。
そんな信長小説の中で、信長本人でなく、信長に仕える者、それも武士で
なく下々の職人達を題材にして「信長テクノクラート三部作」を次々と
発表する小説家がいた。「山本兼一」氏である。そして2009年に茶道匠
利休を画いた「利休にたずねよ」で見事、直木賞を受賞しました。
山本兼一の三部作は、鷹を操る鷹匠を画いた「白鷹伝」、鉄砲師匠を画いた
「電神の筒」、そして今回映画化された、城を造る大工を画いた「火天の城」
であります。監督は 田中光敏。
1576年、長篠の戦で武田勢を破った織田信長が、いよいよ天下を治めるべく
琵琶湖に臨む安土山に前代未聞の巨大な城「安土城」を築くことを宣言した。
その築城の総棟梁を任されたのが、宮番匠(大工)岡部又右衛門(西田敏行)
であった。信長は絶対権力を持った天才である、要求は半端ではない、
山全て城とせよ、天主は5重によせ、南蛮風にせよ、中は吹き抜けにせよ、
3年で建てよ、次々押し寄せる難題、要求に応えねばならなかった。
いやはやこれだけの建築物、構造計算が大事、当時は計算式というより
経験測でやったのだろう、天主を支える親柱は「木曾の檜」2尺5寸角
(75cm角)が絶対必要と樹齢2000年の檜を求めて山をさ迷う行、最後
の親柱切の断行は、いかに基礎が大事かを教えてくれた。
(椎名桔平)の信長振りが良い、スリムな体付きに異彩な衣装をまとい、
ややつり上がった目、孤高な天才信長を見事に演じきった。私の歴代信長
役者に加えておこう、中村錦之助、高橋幸冶、高橋英樹、そして椎名桔平。
(寺島進)は、大工若頭、彼に右腕役をやらせると旨い役者ですネ
頼りになって、優しい男、彼の本性なのでしょう。
城は見事に完成した、燦然と輝く城、正に絶対権力の象徴であった。
しかしその3年後信長は本能寺で明智光秀に討たれ、その2週間後に
安土城は謎の炎上により焼け落ちた。
宮番匠岡部又右衛門は本能寺で信長と共に命を落としていたのですネ
映画を通してまた、歴史の中の縁を知りました。
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