珍しく、映画には疎い女房に誘われて、「大河の一滴」を鑑賞しました。
このところ観たハリウッド系映画やアニメとは客層が全く違うに驚いた。
我々世代か、さらに年配のオバサン、おじさんばかりだった。
五木寛之ファンは皆、年とったんだナ~と実感。
この映画は五木寛之のベストセラーエッセイを映画化したものだ
原作は読んでないのだが、多分、五木氏自ら、種々なる人間模様の
エピソードを選び原案を創ったのだろう。
それを新藤兼人が脚本化、そして神山征二郎が監督したのだ。
普段、私達が見ているのは大きな人間社会である、しかしその下には
人間一人一人がしっかり生きていて,その人たちにはそれぞれ悲喜交々が
あり、そして、その事にこそ価値があるヨと言っている映画に感じた。
正に「人は大河の一滴」なのだ。
ある29歳の女性雪子(安田成美)とその縁の人におこるエピソードを
淡々と映像化した。ここの出来事は特殊なことでは無く、我々の回りでも
よくあることだ。父(三國連太郎)の癌告知と家族で死を受け入れることは、
もはや日常である。映画の如く,出来うるなら、自宅の畳の上で死ねれば
無上の幸せであろう。
親友(南野陽子)の自殺は事件であるが、男に裏切られた女、またその逆は
日常、山の如くある。また世の中、本当に孤独な人も山の如くである。
何かを求め上京していた雪子が故郷に帰り、幼馴染の昌治(渡部篤郎)の
嫁さんになることこそ皆が一番安心し、自分にも一番合っている(自分の本心)
と判っているのだが、あまりにあるべき姿過ぎるのだ。この踏ん切りのため、
わざわざ彼をお供にロシアに向った。
これ私見であるが、雪子の気持ちは昌治に決まっていたはず、
それを納得するキッカケとしてのロシア行きであったのだ。
全篇を通して、ハンサムなロシア人ニコライ君(セルゲイ・ナカリャフ)は
物語の狂言回に過ぎないと思った。
そして、優柔不断の見える昌治君に雪子をじっと見守る男気を感じました。
映像が美しい、雪のロシアの風景、金沢の浅野川の友禅流し、冬の日本海、
シベリア鉄道の走って行く様子、どれを取っても印象に残るカメラワークでした。
この作品、山を作らず、感動を押し付けず、クサミを極力抑えて淡々とした
日常を表現、物足りない人もいると思うが、私には好きな作品でしたヨ。
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